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VOL.4: Azzurro Interview (Interview and Text by Kou Furukawa)

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――ファーストのときのインタビューで、ある種のチェック機能、それをやっちゃいけないんだという白石さんの中でのチェック機能がある、という話をしましたよね。僕はそのチェック機能こそ、ヒップホップが自家中毒に陥らないための重要なポイントだと思ってて、つまり“現場”という第三者の審判がどこかにあることを想定した場所で機能する音楽をつくる。そこで第三者にコミット出来なければ意味がない、という考え方がヒップホップの根本にあると思ってて。それは白石さんの中でもファーストのときから変わってないんでしょうね。

AZZURRO そうだなぁ。簡単に言うと、オリジナルであることと独り善がりは違うってことかな。何にしてもそうなんでしょうけど。

――そこも編集者的な資質と関係があるんでしょうね。特にDJって、基本的には編集者ですもんね、そもそも。

AZZURRO そうですね。

――今回、アルバム・タイトルが「The B-Side」ということで、いろんな意味はあるんでしょうけど、まずヒップホップとしての<B>ですよね。

AZZURRO はい。

――曲のタイトルもヒップホップの有名曲からの引用だったりするじゃないですか。


AZZURRO はい。

ULTIMATE FORCE I'M NOT PLAYING――“I’m Not Playing 2009”(Ultimate Force/1989年)って凄いですけどね、そんなものに2009があるのかって。

AZZURRO ダイアモンド・Dも、まさかこんなことになるとは思っていなかったでしょう。

――2009年に話題にされてるなんて想像してなかったと思いますよ、そんなことは。しかしこれはある種、ヒップホップ回帰なんですかね、白石さんの。


AZZURRO そう取ってもらって構わないです。

――もともとヒップホップから離れたとは思ってないですけど、今回はそういった意味ではより打ち出しがわかりやすい。

AZZURRO そうですね、狙ってわかりやすく打ち出しています。ただ、果たして、どの程度わかりやすいかは全然謎なんですけど。

――“I’m Not Playing 2009”に反応する人はごく一部だと思いますよ。

AZZURRO まあ、そうですね。それは自覚していますけど、ある種のわかりやすい人に向けては、凄くわかりやすく打ち出しています。

――今回そうなったのはなぜですか?

AZZURRO ここ1年くらいでライブとかDJの現場が増えたのも大きいです。テクノのイベントに呼ばれたりするんですが、基本的にそういう場所でも「disco dal vivo」みたいな感じでやっているんですね。で、ライブ・セットを組むときに改めて思ったのが……やっぱりヒップホップ・ビートが好きなんですね。サンプリングされたドラムだったり、マントロニクスみたいな打ち込みも含めて、ちょっと埃っぽいというか、あのくらいの速さでああいう音色がああいうパターンで鳴っているのが、もう理屈じゃなく好きなんです。サンレコに入ってから、音楽的な視野は広がったし、今後も4つ打ちや歌物も作ると思います。でも、一回俯瞰で見て、やっぱ(ヒップホップ・ビートが)好きだなって戻った感じはある。

――自分が好きなものがなんだったのか、よりはっきり自覚出来るようになった。

AZZURRO それと関連するかは分からないですけど、いろいろな音楽を聴いてみて、ダブにしてもテクノにしても、好きな音楽に共通する質感、フォルムみたいなものがわかってきたんですよ。さっき言った『armonia』はK-OGEEに誘ってもらって、原雅明さん、onsaの庄内さん、あと昔オーバーヒートにいた小磯さん、Cappablackのi11evenとか、要は中年が集まってDJやっているんですが、それこそネタもの、最新の西海岸ビートからレゲエから、ありとあらゆる音楽を一晩で聴けるんです。アフロの中でも良質なところ、テクノの中でも良質なところを。そうすると、好きな音楽の質感、フォルム、色気、そういうのが共通してることに気付いて。本当にいいクラブ・ミュージックの質感をあそこでは学ばせてもらった。「俺はこういう音が出したかったんだ」というのが、そのイベントを通じて見えてきたんですね。

――DJの現場で出会った人やモノ。

AZZURRO そうですね。現場と一言で言っても、100人いたら100人の現場があると思うんですけど、俺は俺なりの現場の動きが増えてく中で、俺はこういうのが好きな質感なんだというのが見えてきた。

――このアルバムを聴いて思ったことがあるんですけど、それが実はまさに質感の話なんですね。これはちゃんとした質問ではないんですけど……。

AZZURRO 全然気にしないで言ってもらっていいですよ。

――このアルバムを一言であらわすフレーズってなにかって言ったら、まさにこれ、<テクスチャー・ミュージック>だと思ったんですね。質感の音楽、質感を楽しむための音楽。音楽の魅力って、一般的に言ってまずメロディ、それからリズム、グルーヴだと思うんですけど、もうひとつ「テクスチャー」という愉しみがあるのではないかと思って。


AZZURRO うん。

――極端なことを言えば、なぜサンプリングするのか? なぜサンプリングの音でしか味わえないものがあるのかということを考えたら、昔からよく「空気感」という言葉で言われてましたけど、要はそのテクスチャーを求めて過去の音源をサンプリングしていたんじゃないか。レイヤーって言葉を使いますよね。音のレイヤーの深さとか、奥行きとか。それも、なんのためにそういったレイヤーを重ねることが必要なのかと言ったら、それはやっぱり聴いた印象の質感、テクスチャーを求めてだろうと。

AZZURRO はい。

――そういうテクスチャーの魅力というのも、確実に音楽の魅力のひとつだと思ってですね。

AZZURRO うん。それはそうで、ヒップホップに限らず、ミニマル・テクノだと今でもアナログしか出さないレーベルもありますしね。それはなぜかと言うと、あれこそ音の質感がすべてだから。下手すればキックが四つ打ちで鳴ってるだけみたいな曲もあるけど、逆に言えばそれはいい音のキックでなければ成り立たない。そこを詰めている人たちは、「CDなんてとんでもねえよ」となる。そういう人は、いるんですよ、いろんな世界に。そこは俺の中でひとつの拠りどころになっていて、ジャンルが違っても共有出来るんだろうなと思っている。armoniaでそういう音楽を聴いてると、その感覚はいまに始まったことでもないし、どんなジャンルでも、どんな国でもポピュラーかというとアレだけど、ひとつの音楽の在り方としては全然あるということが分かる。

――音楽は時間芸術って言われますけど、特にメロディは出発点があって終点があって、そのトータルの時間が一芸術作品なわけですよね。つまり、ある部分だけを取り出しても意味を成さない。


AZZURRO うん。だから、そこでループで。

――はい。ループ・ミュージックはトータルで見てももちろんひとつの芸術作品として鑑賞できますけど、ある部分を取り出してみても、そこには全体の要素が含まれているという。

AZZURRO そうですね。

――特にテクスチャーの音楽だと、より細かい瞬間で区切ったとしても、全体の魅力がその一部分に含まれてる。要はなにが言いたかったかというと、部分だけを取り出しても楽しめるものというのは、とても表現主義っぽいと思ったんですよね。例えばアニメーションだと、アニメーションの表現そのものの魅力を楽しむという観点で言えば、別にお話全体、パッケージされた全体を見る必要なんてないわけですよ。本来存在しないものがそこでまるで生きているように見える、もの凄く抽象化された絵がとても現実の感情や事象を的確に表現している、みたいことがアニメーションという表現方法の真価であり魅力だとしたら、それはもう、ある瞬間、あるシーンだけを切り取ってみても全然伝わるわけで。

AZZURRO 「巨神兵、崩れ落ちたよ!」みたいな。

――そうそう。

AZZURRO はい。

――要はその手段、その表現方法でしか伝わらない魅力を最大限に活かした瞬間が売りだという、そういうものが表現主義的な作品だと僕は思ってるんですけど、それはヒップホップにもあって、そうしたテクスチャーの魅力であり、ループの魅力であったりが詰まっているこういうアルバムは、とてもヒップホップ表現主義的なアルバムだなぁ、ということなんです。

AZZURRO それは嬉しい言葉ですね。ある種テクスチャーがすべてと言っても過言ではないというか。もう否応なく好きな質感があるんですよね。

――その感じはこのアルバムに十二分に詰まってると思いますけどね。この人はどういう質感が好きなのかっていうのが。

AZZURRO 僕はそれを言葉にできないので、こうして音楽を作っているという面はあります。

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